音楽で満たされよう
欠乏感に苛まれて、
いらないものを手にしてしまう…
ってありがちなことです。
買い物中毒とか、
過食もそう。
満たされない飢餓感って、
やっかいですね。
家にはいらないものばかりが溢れてる、とか。
あんなに欲しかったのに、
手に入れてみればつまらなく思える、とか。
いくら与えられても満たされない。
文句ばかり言いたくなる。
もしくは与えられると、拒否してしまう。
自分には与えられる価値が無いと思う。
欲しくないものを買ってしまう。
買った後に後悔する。
昔の人は、こんな時、どうやって過ごしていたのでしょうか。
音楽で満たされるとは
(Anton Domenico Gabbia, collezione di Gran Principe)
昔、音楽の役割は、2つありました。
一つは、王侯貴族の栄光を称える目的。
式典での音楽は、王侯貴族の偉大さを誇張し、称える目的で演奏されました。
現に、クラシック音楽はフランスでは王の独占でした。
音楽を保存し、学ばせ、演奏させることができる決定権は王にあったのです。
もうひとつは、王侯貴族が楽しみとして自分が演奏すること。
フランスの王侯貴族はリュートを嗜むのが伝統でしたし、
そんなリュートとオルガンの両方から派生したチェンバロは、
王の楽器で、作曲家や楽長の楽器であったと同時に、
その後王侯貴族の子女が嗜む楽器にもなりました。
王侯貴族の子女はそれは裕福でしたが、自由はなく、
男は戦争や政治で忙しく、家庭を顧みなかったりしたのです。
自由もないので、当時は女性の自己実現もなく、
暇で満たされない時間を沢山持て余していたのです。
そんな子女の心を満たしたのが、チェンバロであり、
フォルテピアノであり、趣味で習うピアノだったりしたのでしょう。
チェンバロは弾く人にとって楽しく、聞く人の心も喜ばせます。
こんな喜びが日常にあると、世界が違って見えるのではないでしょうか。