別府チェンバロ教室

美的感覚と豊かな感性を養う

売れなくても食べられる音楽の重要性

今日はちょっと昔の話題についてですが…

 

アイドルユニット「シークレットガールズ」などで活躍していたアイドルの冨田真由さんが、元ファンからストーカーになった男に全身をめった刺しにされて意識不明の重体に陥った事件が最近ありましたね。

アイドルに対する憧れが、個人的に交錯した感情に変わった時に起こった悲劇です。

異性のアイドルに対するファンの感情は擬似恋愛に近いものですので、その点を制しながらでないと、一線を超えると惨事になる可能性をはらんでいます。

あるアイドルの人は、この事件について、保護してくれる事務所等に属さないフリーのアイドルについて、ファンとの距離が近くなって個人的関係になることの危険性について語っています。

記事の続きはこの下

 

アイドルとはあくまでステージで踊りや歌でファンと接するものであり、それが握手会や物販などの場での数秒単位以上のコンタクトならまだしも、それが引き離しスタッフがいないがために、数分や、場合によっては一時間以上も接することになると、個人的関係になってしまい、もはや歌や踊りの価値ではなく、それにお金を払う意味も失ってしまうということについて話していますね。

アイドルとはアート、いわば幻想を売ることですから、歌や踊りの技と内容で勝負することは重要です。そして個人で活動している人、ファンが数人の人などは、個人的支援者は重要なサポーターであるはずです。

例えば、超絶ギタリストのケリーサイモンさんは、コンサート活動ではなく、セミナーを活動の主な舞台としているといいます。彼は

音楽で生きていくと「覚悟」を決めた人間の楽曲と演奏は人の心を動かすと思います、たとえそれが否定的であっても無関心ではいられない、それが一番大切

と述べています。そして彼の一番の関心は、

僕は自分が確実に自身の技量・センスを磨き続け努力を怠らずにいれば必ず自分が生きていくだけの支持者は得られると思っています。人間はそう言った人の「魂」に触れ共感するものだと信じていますし、僕の魂を乗せた音楽たちは必ずそういった共鳴を生み出すと信じている

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このような真摯なミュージシャンの心構えとして、最終目標は「売れなくても食える音楽」という、ミュージシャンとして究極のあり方に至ってます。

 

話を元にもどすと、女性アイドルと超絶ギタリストの違いは何処にあるのか、ということです。

女性アイドルは、最終目標として、超絶ギタリストのような技術と魂と生き方に至ることを目指しているのかもしれませんが、現時点では、女性としての若さや可愛さといったものも商品としてはいないでしょうか。

ですから、本物のアーティストとはまた一線を画し、歌や踊りといったアートに、若さと美しさを添えて商品価値を補強しています。アイドルは、アーティストとしての人格と振る舞いを身に着けていないと、勘違いファンに狙われることになってもおかしくはないのです。

これを避けるためには、事務所に所属して保護してもらうか、自分のアートと人格と振る舞いに責任を持って、自己責任で荒野を開拓していく以外にないでしょう。

それが自分のアートとこの世の中の対峙ということではないでしょうか。

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ファンの人も、自分の望んでいるものがアイドルなのか、自分の彼女が欲しいのか、欲求をはっきりさせて、正しい自己実現に向かって欲しいですね。

「売れなくても食える音楽」でなく、「売れなくても食える存在」ということであれば、女性アイドルは養ってくれる男性と結婚してしまえばいいわけですから…。

そう考えると、フリーの男性アーティストは相当に厳しい世界で生きていますよね。それだからこそ、凄みのある音楽が奏でられるのでしょう。

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